瞑想とは

マインドフルネスと禅の違いとは?──「今ここ」に戻る力と、公案禅の不思議な魅力

「あの人は、自分のことをどう思っているんだろう」
「この先、うまくいかなかったらどうしよう」

そんなモヤモヤが、頭から離れないことはありませんか?

こうした心のざわつきを静める方法として、世界中で広まっているのがマインドフルネスです。

そして、そのマインドフルネスのルーツをたどると、日本でもなじみ深い禅に行き着きます。

禅の精神を知ると、マインドフルネスが目指しているものが、ぐっと深く見えてくるのです。

この記事では、マインドフルネスと禅の共通点と違い、そして理屈を超えた問いで心を動かす「公案禅」の魅力をお伝えします。

■ マインドフルネスのルーツは「禅」にある

現在のマインドフルネスの出発点は、1979年。アメリカ・マサチューセッツ大学のジョン・カバットジン博士が始めた「マインドフルネスストレス低減法(MBSR)」です。

カバットジン博士は、禅をはじめとする仏教の瞑想を自ら実践していました。その教えから宗教色を取り除き、誰でも取り組める形にまとめたのがマインドフルネスです。

つまり、マインドフルネスは「やりやすくした禅」とも言えます。

やり方はシンプルになっても、その考え方の土台は禅にあります。だからこそ、禅を知ることがマインドフルネスの理解を深めてくれるのです。

▶︎ 関連記事:マインドフルネスとは?完全ガイド

■ 共通する魅力──「今ここ」の自分に戻る

マインドフルネスと禅に共通する、何よりの魅力。それは「今ここ」の自分に戻れることです。

「今ここの自分なんて、当たり前では?」と思うかもしれません。

けれど、不安やモヤモヤを感じているとき、私たちが考えている中身をよく見てみてください。

  • 他人のこと(あの人はどう思っているのか)
  • 環境のこと(この状況はどうなるのか)
  • 過去や未来のこと(あのとき、これから)

どれも「自分」のことではなく、しかも「今この瞬間」に起きていることでもありません。

悩みの多くは、心が今ここから離れたところで生まれているのです。

マインドフルネスや禅で今ここの自分に戻ると、頭の中の悩みが静まり、ストレスが和らいでいきます。

主語を「私」に変える──振り回されない心のつくり方

マインドフルネスでは、物事のとらえ方そのものが少し変わります。

たとえば、目の前を人が歩いているとします。ふつうは「人が歩いている」と表現しますよね。

これをマインドフルネス的にとらえると、こうなります。

「私という存在が、人が歩いていることを認識している」

起きていることは同じです。違うのは、主語です。

「あの人が」ではなく、「今ここにいる私が」を起点にして考える。

すると、他人や環境を中心に考えるのではなく、自分の認識を中心に置けるようになります。

その結果、人にも環境にも振り回されにくくなるのです。

▶︎ 関連記事:メタ認知を高める基本の瞑想

■ マインドフルネスと禅の違い

マインドフルネスにあるもの──はっきりした「目的」

マインドフルネスには、明確な目的があります。もともと「ストレス低減法」として生まれたように、現代人が抱えるストレスを減らすことです。

一方、禅は修行そのものに意味があり、何かのための手段とは限りません。

目的をストレス低減に絞っているからこそ、マインドフルネスは誰にとってもわかりやすく、取り組みやすいのです。

▶︎ 関連記事:マインドフルネスでストレスを減らす方法

禅にあるもの──長い歴史と「公案」

反対に、禅にはマインドフルネスにはないものがたくさんあります。何百年と受け継がれてきた歴史と伝統です。

その一つが、公案(こうあん)です。

公案とは、禅の師が修行者に与える問いのこと。一つの言葉や短い文章を、ひたすら考え抜いていきます。

中には、一瞬で心をガラリと変えてしまうほどの力を持つ公案もあります。

■ 公案禅とは?──理屈では答えられない問い

公案を使う禅は「公案禅」と呼ばれ、日本では特に臨済宗の修行の特徴になっています。

公案は、歴代の禅の師たちが悟りに目覚めたきっかけを、言葉として表したものとも言われます。

「禅問答のようだ」という言い回しがありますよね。ふつうは「話がかみ合わない、わけがわからない」という意味で使われます。

以前、曹洞宗の大本山・永平寺を訪れた際に、実際の禅問答を目にする機会がありました。一見すると激しい口論のようで、まさに「わけがわからない」世界でした。

公案もまた、それほどの難しさがあるため、とっつきにくく感じられるかもしれません。

① 富士山を、荒縄で縛って持ってきなさい

たとえば、こんな問いがあります。

「富士山を荒縄で縛って、持ってきなさい」

こう言われたら、思わず「そんなの無理です」「富士山が動くわけがない」と返したくなりますよね。

けれど、公案には決まった正解がありません。

  • 動かせないものを動かそうとしている、自分に気づけ
  • 大きな課題も、見下ろせるほど心が大きくなれば小さなことだ

こうした受け取り方もできます。大切なのは、その言葉から何を感じ、何をイメージするかなのです。

② 隻手音声──片手の音を聞け

もっとも有名な公案の一つが、臨済宗中興の祖とされる白隠禅師の「隻手音声(せきしゅおんじょう)」です。

両手を打ち合わせれば、音がします。では、片手の音とは何か。それを聞いてこい、という問いです。

音のない音、沈黙の声を聞く。そんな、理性を超えた世界へと誘う言葉です。

ちなみに、試しにAIにこの公案を尋ねてみたところ、「これは理屈では答えられません」という答えが返ってきました。

論理を積み重ねるだけでは届かない世界。それこそが、公案の本質なのかもしれません。

禅では、頭で考えることをやめ、心で自分の本性を見ることを見性(けんしょう)と呼びます。

■ 公案を日常に生かす──思考を止めて、心で見る

公案禅は、お寺で修行する人だけのものではありません。その考え方を応用すると、今ここの自分に戻るスピードが速くなります。

理屈で考えられない問いを前にすると、頭はほかのことを考えられなくなります。

意識がその問いに集中し、結果として、それまで渦巻いていた感情がスーッと収まっていくのです。

  • 答えのない問いを一つ持つ(集中)──「片手の音とは?」と心の中で問いかけてみる
  • 自然をただ眺める(広がり)──空、山、海、星を、意味づけせずにただ感じる
  • 論理から一歩離れる(手放し)──考え詰まったら、あえて答えを出そうとしない

空や海をただ眺めていると、意識がふわっと外へ広がっていく感覚はありませんか?

日常の課題に向きすぎていた意識が外れ、感情や思考から自然と離れることができます。

論理的に考える力は大切です。けれど、論理だけに頼っていると、その枠から抜け出せなくなることもあります。

ときには、論理を超えた世界に身をゆだねてみることも、心を自由にしてくれるのです。

▶︎ 関連記事:3分でできる「今ここ瞑想」のやり方

▶︎ 関連動画:【わたしの瞑想時間】ヴィパッサナー瞑想 観察の瞑想

■ マインドフルネスと禅に関するよくある質問

Q. マインドフルネスと禅の違いを、ひと言でいうと?

マインドフルネスは、禅などの仏教の瞑想から宗教色を取り除き、ストレス低減という目的に絞った方法です。禅は、長い歴史と伝統の中で受け継がれてきた修行そのものです。

Q. 公案に正解はあるのですか?

一般的な意味での「正解」はありません。理屈で答えを出すことではなく、問いに向き合う中で、自分の心がどう動くかが大切にされます。

Q. 日常で禅やマインドフルネスを取り入れるには、何から始めればいいですか?

まずは数分間、呼吸に意識を向けることから始めましょう。食事や歩くことなど、日常の動作に意識を向けるのもおすすめです。

▶︎ 関連動画:【誘導瞑想】歩行瞑想 マインドフルウォーキング

▶︎ 関連動画:【本要約】「食べる瞑想 Zen Eating のすすめ」

■ まとめ:理屈を超えたとき、今ここに還る

マインドフルネスは、禅をルーツに持ち、誰もが取り組めるように生まれた心の技術です。

主語を「私」に変えて今ここに戻る。そして、ときには公案のように、理屈を超えた問いに身をゆだねてみる。

その両方が、私たちを悩みや不安から解き放ってくれます。

「頭で考えるのをやめたとき、心は今ここに還ってくる」

まずは今日、空を見上げて、ただ感じる時間をつくってみませんか?

人間関係に振り回されない心のあり方は、こちらの本要約でも紹介しています。

▶︎ 関連動画:【本要約】『新しい人間関係のルール』並木良和

YouTubeでも、マインドフルネスと瞑想のヒントをお届けしています
誘導瞑想やアファメーションを、音声で気軽に始められます。
▶︎ チャンネル登録はこちら(MEDITERRACE)

読んでよかった本やおすすめの本、潜在意識に関する本の要約は、サブチャンネル「本要約カフェ」でお届けしています。
▶︎ 本要約カフェはこちら

無意識の力をさらに深く知りたい方は、拙著もあわせてご覧ください。

▶︎ 書籍はこちら(Amazon)